映画「花まんま」観たよ
大阪の下町で暮らす二人きりの兄妹。兄・俊樹は、死んだ父と交わした「どんなことが
あっても妹を守る」という約束を胸に、兄として妹のフミ子を守り続けてきた。妹の結
婚が決まり、親代わりの兄としてはやっと肩の荷が下りるはずだったのだが、遠い昔に
二人で封印したはずの、フミ子の〈秘密〉が今になって蘇り・・・(公式サイトより引用)
【あらすじ 長文、ネタバレあり】
まず、私は鈴木亮平さん(以下、敬称略)が大好きです!
正直、この映画は、鈴木亮平目当ての鑑賞でした。
あらすじや、前宣伝の動画などで、なんとなく“こんな感じなのかなぁ”という感じで観に行ったのですが。
うーん。
やられたね(涙腺が)。
今は亡き父との約束とはいえ、兄(俊樹)の、妹(フミ子)への思いの深さ、広さに、愛情に、圧倒される。
それが重いとかじゃなく、また依存的でもなく。
単に、妹を可愛い、可愛いというような甘やかした感じ(育て方)ではなく。
関西が舞台のお話なので、会話は全部関西弁。
私自身も生粋の関西人なので、俊樹とフミ子の関西弁独特の会話のやりとりや、間、ツッコミやボケ方が最高に耳心地よい。
とてもさっぱりし合った良い兄妹関係。
そしてフミ子と結婚する太郎という男性。
こういうナナメ45度いく変わり者?って私も好き(笑)
物語の大事なポイント、ポイントに見られる一面に広がるつづじの美しい場所がとって
も印象的。
はじめはCG?って思ったくらい。
関西に住んでてこういう場所があるって全然知らなかった。
時々クスって笑えて、和ましい空気に包まれつつ、大切な妹の結婚式が近づくにつれ、ある事で、兄妹関係にゆがみが出てくる。
隠された妹の「秘密」。
一体なんぞやって思ってたのだけれど。
・・・これは難しいな。
こんな経験、もちろんないし、どういう感覚なのか、想像してもよぅ分からない。
実は映画の最後のシーンまで、私はずっと兄視点だった。
というか、兄視点でしか見れなかった。
兄の言い分、すっごく分かる。
ずっと隠されていた事に対する怒りも。
私が俊樹だったら、フミ子の中の“記憶の喜代美”を受け入れる事で、自分の家族「加藤家」が壊されてしまうという感覚になりそうで。その恐怖感でいっぱいになりそう。
喜代美の記憶を持つフミ子の気持ちが分からないから、フミ子に俊樹が振り回されているのを観てると、どうしても、妹の言動に、勝手やな、とか、我儘ちゃうか、って思って観てしまう。
でも、最後にはやっぱり「兄」やねんなー。
ここって時の妹の「一生のお願い」という言葉に敵わないねんなー。
もうこれは理屈じゃない。
これが兄妹であり、家族。
繁田家の人々にも共感できなかった。娘・喜代美がああいう風に亡くなって、同情はす
るけれど。
どういう感覚でフミ子を感じていたのだろうか。。。
もし私が繁田家の一員だったら。
いくら喜代美の「記憶」があっても、それは喜代美ではない。
その現実がより一層、感じてしまうような気がして。
余計に空しくなるような気もするけれど。。。
それが映画の最後の最後に痛感させられる。
切ないな。やっぱり切ない。
繁田家の人達は、喜代美を二度、失う気持ちを味わってしまったのではないだろうか。
映画のタイトル「花まんま」
それは可愛くて、温かくて、とても優しい。
寂しさに調和され、何とも言えない思いのままエンドロールが流れた。
最後に、鈴木亮平大好き人間の感想を言うと。。。
俊樹が妹に送る結婚式でのスピーチ。
鈴木亮平がすごすぎて・・・。
思わずもらい泣き。
スクリーンに向かって、「ホンマに、俊樹、よぅ頑張った!よぅ、ここまでフミ子を守ったたな!」って俊樹に大声て伝えたくなったよ。
私にも兄がいた(過去形)
父はいなく、俊樹とフミ子のような環境だった。
絶対的違いは、この2人ような兄妹関係ではなかった事。
映画を見ながら「あぁ、兄貴がこんな人だったらなぁ。生前、もう少し愛せたかも」な
んて思った。でも同じように、もし兄が今、生きてたら「あぁ、オレの妹がフミ子のようやったら、もう少し可愛がったかも」って思われるかもな(笑)
映画の中で、俊樹がお好み焼きを食べるシーンがあるのだけれど、それがすっごく美味しそうで。。。感化されて翌日の夕食はこちら ↑ ↑ ↑ になりました(笑)
>>映画「花まんま」公式サイト